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♪ ラーメンたべたい ◆ ラーメンのさらにつづき。矢野顕子の「ラーメンたべたい」の歌詞の「うまいのたべたい」の部分。「ことばのレベル」が合っていないところが、微妙に魅力的でもあるのだろう。「おいしいの食べたい」でもなく、「うまいの食いたい」でもなく、「うまいの食べたい」。奥田民生なら「うまいの食いたい」の方がいいかもしれないが、ふだんはラーメン屋にひとりで行かないような女性のことを歌った歌であるなら、「おいしいの食べたい」ではややもの足りず、すこし乱暴に「うまいの」と言ってみせることで、「つらい」気持ちをなんとか打破しようとする女性の健気な努力を、言外に伝えることに成功している、と評論っぽくなってしまった(ので、あとで書き換えることにする)。 ◆ で、思い出したのが、「ハラ減った、メシ食わせ」。 ◇ 食事の準備をしている母親の後ろで「腹減ったー。飯食わせー」なんて、何か近くにあるものを叩いてリズムを取りながらよく言っていましたから、 ◇ 大阪の千里山の洟垂れ小僧や娘達は、昼前には「腹減った、飯食わせ」と大合唱して先生達を困らせたものです。 ◇ 「はら減ったぁ~飯食わせぇ~♪」っていうのは、関西の子供が、お腹がすいた時に節をつけて唄って、必ずお母さんに叱られる唄です。これ、関西だけだよね? ◆ えっ、これは関西限定? 子ども時分、夕食時に、茶碗を箸で叩きながら、「ハラ減ったァ~、メシ食わせェ~」と連呼する。わざと下品なコトバを使うのがなんとも楽しかった。そんな記憶はありませんか? これが「おなか減ったァ~、ごはん食べさせてェ~」だったら、ほんとに貧乏な気がしてきて(ほんとに貧乏だとしても)、救われませんね。 |
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◆ たとえば、1日の日記を書くのに3日かかる、というようなことは、どう考えても、経済的・生産的ではないが、それだけの時間が必要になるような特別な日もある。 ◆ というようなこととはなんの関係もないが、ラーメンのつづき。ラーメン好きなひとが大勢いるようで、どこの街でも、飯時になにか食べようかと思って見渡したときにかならず目につくのが、まずラーメン屋。ワタシは、定食屋のほうが好きなので、見つかれば定食屋にはいるが、ないことも多いので、そんなときには、ラーメンを食べる。たいていの場合、おいしい。凝ったスープに具だくさん。食った、食った、満足、満足・・・、しない。なにかもの足りない。なぜだろうかと考えた。 ◇ ラーメンは、それ単体で「主食」「具」「スープ」がすべて含まれた完全食。いわばフルコースと同じものと考えても問題ない。 ◆ ははん、そういうことかもしれないな。全部がひとつになってるというのが、ワタシは逆に気にいらない、ということか。ラーメンに小ライス無料という店があるが、ライスの食べ方にいつも困ってしまう。ラーメンはあまりにも独立して完成された料理なので、その他のものを受け入れない、って感じ。完全でなくていいから、いろんなものをたくさん食べたい。ぜいたくなのはどっちだろう? 欲張りなのは? |
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◆ 久しぶりに大型書店に寄って、帰りのバスのなかでなにか読む本はないかと、しばし時間をつぶした。新書と文庫の棚のあたりをうろうろし、 ◆ 三土修平 『株とギャンブルはどう違うのか』(ちくま新書)←「株式投資に夢を見る前に知っておくべき基礎がある。資産価値はどう決まるのか。その値上がり益とは何か。値動きの背後にある法則を経済学の視座から平明に説く。」←タイトルに釣られ、立ち読みしたが、いたってマジメな内容で、ギャンブルの話はほとんど出てこない。 ◆ 坂口孝則 『営業と詐欺のあいだ』(幻冬舎新書)←「一流の営業マンは、絶妙なタイミングで商品を薦め、必殺の決めゼリフを持ち、相手を褒め倒して必要のないモノも買わせる。詐欺師と一流営業マンは紙一重。きわどい営業のコツと心得を伝授!」←これもタイトルに釣られ、立ち読みしたが、とくにきわどいハナシはない。 ◆ 神仏霊場会編 『神と仏の道を歩く』(集英社新書ビジュアル版)←「西国(近畿)の名だたる古社名刹が手を結び、「神仏和合」にもとづく新しい組織「神仏霊場会」を設立、「巡拝の道」が誕生した。参加社寺は一五〇に及ぶ。江戸時代まで盛んに行なわれた伊勢参りや熊野詣のように、神仏を同時に崇拝していた精神風土を現代に取り戻し、末永く百年千年の規模で展開する巡礼ルートだ。本書はその巡拝の道、唯一の公式ガイドブックである。解説に加えて、現代日本の鉛筆画壇の最高峰の作家たちが、全社寺の姿を描き下ろした。細密鉛筆画特有の柔らかさ、精神性が、世界遺産を抱え、美しい景観の保護も目指す「神仏霊場 巡拝の道」に彩りを添えている。」←東国編だったら、買ったかもしれない。鉛筆画が美しい。《木原和敏 Web美術館》で、その細密鉛筆画の一部が見られる。 ◆ けっきょく、なにも買わずに店を出た。 |